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寺尾聰アイスのCMはなんか可愛いけどルビーの指輪の頃とはまるで別人?


terao 246x300 寺尾聰アイスのCMはなんか可愛いけどルビーの指輪の頃とはまるで別人?

森永のワンランク上のアイスクリーム『パルム』のCMで
ちょっとお茶目なアイス好きなおじさんがすっかり
板についた感じの寺尾
5月31日のフジ金曜プレステージに出演しますね。

 

飄々としたという形容詞がぴったりの寺尾は、
この頃の表情を見ていると穏やかで小粋なおじさんってイメージがあります。
しかし若い頃の寺尾聡は今とは全然違う雰囲気が漂っていたんですよねぇ。

 

かつては石原プロに所属し、石原プロの見本市みたいな
伝説的な刑事ドラマ『西部警察』にも出演していましたが
社長の石原裕次郎の元を離れることになったのはなぜなのでしょう。

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寺尾聰のプロフィール

1947年5月18日 横浜市保土ヶ谷区で
日本演劇界の重鎮だった宇野重吉の長男として誕生しました。

 

…えっ?この人もう67歳なの?!

 

大物役者の息子は往々にして「親の七光り」といわれるのを嫌って
反発することも少なくないのですが、
寺尾聰と宇野重吉の関係は良好なものだったようです。

 

若い頃の寺尾聰といえば『西部警察』のリキ役のことが良く出てきますが
刑事ものドラマに出演するまでは農村の若者役なんかをやっていました。
確かにあの風貌はニヒルでクールな刑事より農村のおにいちゃんのほうが似合うかも知れません。

 

しかし刑事ものドラマでの寺尾聡はまことにかっこよかったです。
『西部警察』ではアルマーニに身を包んだ渡哲也とか舘ひろしが共演していましたが
ずぇんぜんひけをとらない輝きがありました。

 

1973年に女優の范文雀と結婚しますが1年で離婚。
その後1979年か1980年ごろにモデルで当時19歳の星野真弓と結婚しました。

【追記】
コメントにて、結婚は1982年という情報をいただきました。

 

役者としての活動のほかに、名曲『ルビーの指環』をはじめとする
ヒット曲を作り上げたソングメーカーでもあります。
あの当時はどこに行っても寺尾聰の曲が聞こえていたものでした。
1981年には日本レコード大賞を受賞しています。

 

と、淡々と書いていますが、実は私は寺尾聰フリークで
『西部警察』とその前の『大都会PARTⅢ』を、当時はビデオなんか
ありませんでしたから音声だけテープに録音して台詞を暗唱できるほど聞き
授業はほとんど上の空で似顔絵ばかり描いて過ごしました。

 

寺尾聰ふんするリキの殉職の時は悲しみのあまり翌日学校を休みました。

 

160万枚を超える大ヒットとなったアルバム『Reflections』に入っている
『出航 SASURAI』という曲の、ゲーブルやボガードが出てきそうな世界観に
インスパイアされて発作的に小説を書き始めてみたりもしました。
思い出すと相当おかしい人だったなぁと思います。
(その小説は未完のままですが)

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寺尾聰が昔とは別人のよう?!

若い頃寺尾聰のに恋焦がれていた身からすると、パルムのCMで
「わぁ~お」と言っている寺尾聰は この人こんな感じじゃなかったよなぁと
しみじみ思います。

 

それに、なんと言ってもほくろがない!!!

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授業中似顔絵を描いていて、画竜点睛よろしく最後にほっぺたの
ほくろを二つ書き入れて完成だった あのほくろはどこ行ったんや!

 

あのほくろがなくなったことに気づいたときはかなりショックでしたが
オリオン座の三ツ星のごとく目立つほくろは、役者として活動していく上で
無意味に目に付くので取ってしまったのかもしれませんね。

 

若い頃の寺尾聰は、今のような穏やかな雰囲気ではなく
もっとぴりぴりした印象がありました。
結婚が発表されたときも取材を一切させず、無理にマイクを向けられて
不機嫌そうな顔をしていたのを覚えています。

 

寺尾聡のこのマスコミ対応にはそれなりの事情があるのですが(後述します)、
後になって寺尾聰は当時のことを
「まあ僕もあの頃は…いきがってましたからね(笑)」と語っていました。
今となっては若気の至りというところでしょうか。

なぜ石原プロを辞めたのか

寺尾聡はかつては石原プロに所属していました。
これは、父親の主宰する民藝に入りたかったのですが父親が賛成せず、
父親と旧知だった石原裕次郎の石原プロを紹介されたためです。

 

寺尾聰が石原プロを辞めた理由は、
曲がヒットしてコンサート活動をしていたときに、
これはファンへの恩返しでマスコミ席は用意しない意向だったにも関わらず
マスコミ席が用意されており、そこが空席なのに一般客が入れないという
事態が起こってしまったことが原因とされます。

 

これに激怒した寺尾聰はそれ以降マスコミ取材を一切受けなくなり
時には歌番組も欠席ということがありました。

 

石原プロとしてはコンサート活動を興行として捉えていたため
マスコミ席を用意するのは当たり前という考えだったようですが、
当時石原プロの大番頭と呼ばれていた小林専務と激しく対立してしまいます。

 

かねてからアクションものよりも人間の機微を描くような演技に進みたい希望が
あった寺尾聰は、このコンサートの一件で石原プロと袂を分かつことになったそうです。

 

もともと希望していたのが民藝ですから、派手さが売り物のアクションドラマは
方向性がぜんぜん違いますもんね。

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この選択は正解だったろうと思います。
寺尾聰はこれまでに3回日本アカデミー賞を受賞していますが
どれもじっくりと抑えた厚みのあるすばらしい演技でした。
『博士の愛した数式』など特に、これが昔マグナムをどんぱちやっていた
寺尾聡だろうかと不思議な気持ちがするほどでしたから。

 

今年はNHK大河に徳川家康役で出演が決まっている寺尾聰。若い頃にも
大河で徳川家康を演じていますが、年齢を重ねて再び同じ人物を演じることに
どんな感想を持っているんでしょうね。

 

派手さはないけど本当にいい役者になった寺尾聰。
さすがは宇野重吉の血を受け継いでいるだけあるよなぁと思います。


4件のコメント

  • 匿名

    寺尾聡じゃなくて寺尾聰な。
    一貫して無礼な内容の記事だと思った

    • レイレイ

      コメントありがとうございます。
      間違いを訂正しておきました

  • ケイ

    ご結婚は多分1982年だと思います。
    当時14歳だった私は寺尾さんが大好きで、(ショックでしたが)19歳の奥さんをもらうと聞いて、こんなに若い奥さんもらうならガキの自分も将来はイケるかも!と訳のわからないことを考えていました(笑)。
    通りすがりで失礼しました。

    • レイレイ

      コメントありがとうございます。

      正確な結婚時期がどうしても分からなくて、記憶をたよりに
      1979~1980年ごろかなぁと思ったのですが、よく考えてみればおっしゃる通り
      1982年頃の方が正しいかも知れません。
      1979~1980年ごろだったら、私は間違いなく学校を1週間くらい
      休んでいるはずですが、休んだ記憶がないので(笑)
      追記しておきます。

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